私が言葉に敏感になった三大理由を、今日は書いてみます。
その① 〈辞書には書かれていない想いがある事を知った編〉
小学校低学年の時、自分の名前の由来を親に聞いて作文にしてくる宿題が出ました。
わたくしの名前は 淑女の淑に恵で としえと読みます。w
名付けた父に尋ねると、「素直に生きて欲しいから付けた」
当時の私は、真に受けていましたが、後から漢字の意味がわかって来た頃…
「素直になら、素子とか直子やろ〜もん!」と一人突っ込みをしました。
その②〈語尾の違いの大切さを知った編〉
中学の頃、働き者の父親が腰を痛そうにしていた時の会話。
私 「お父さん 腰をもんじゃろうか?」
父 「腰をももうか?と言ってくれたら、手を合わせて『お願いします』と言う。
もんじゃろうか? なら、結構です。」
最初はピンと来ませんでしたケド(^^;;
その③ 〈行動と言葉の責任を感じた編〉
運転免許取り立ての時、助手席に父が乗ってくれていました。
ある日細い道で、対向車と離合するのに自信がなく、道を譲るために停車。
進んで来た車は、すれ違う時に素通り。
私 「あの人、会釈もしなけりゃクラクションも無しやん。」
父 「お前は 会釈やクラクションして欲しくて、待っとったん?」
私 「…。」
こんな感じで育った私は、若かりし頃あるセミナーで、
「僕の夢を叶えるために とりあえず一生懸命やります」と発言した人に
「夢を叶えるなら とりあえずじゃなくて、死にものぐるいやろがー!」と突っ込みたくなり
それ以来〈とりあえず〉と言う言葉を使わなくなりました。
donndake〜www